人間の虚栄心とは

人間の虚栄心は、生きるためにある。道徳は、それを揶揄するが、人間の大切な防衛本能を無理に悪者扱いしてはいけない。阿Q正伝の精神的勝利法を馬鹿にする人もいるが、それが生きるための術だとしたら、馬鹿にする人たちは、人類を否定する愚か者だろうか?

 

 

阿Q正伝・狂人日記 他十二篇(吶喊) (岩波文庫)

阿Q正伝・狂人日記 他十二篇(吶喊) (岩波文庫)

 

 

【感想】死者の奢り・飼育 /大江健三郎

死者の奢り・飼育 (新潮文庫)

 

大江健三郎の短編集。『死者の奢り』、『他人の足』、『飼育』、『人間の羊』、『不意の唖』、『戦いの今日』の6編が収録されている。

中でも印象深かった、『他人の足』について感想を述べる。

『他人の足』は、脊椎カリエスの未成年病棟に収容された少年たちの物語。
少年たちは、一生歩けないという事実に希望を失い、堕落の日々を過ごしていた。病棟の外の世界には興味もなく、自分の一生を病棟で消費することが目的であるかのような日々を送る彼ら・・・
そんなある日、一人の学生が病棟に入ってくる。彼は一生歩けないという悲惨な事実と戦いながらも希望を持ち続ける人間だった。彼は、外の世界のニュースを学ぶための会を開き、脊椎カリエスである自分たちでも、外界に影響を与えうる事、希望を失ってはいけないことを周囲に訴え続ける。
彼が来たことで、病棟の中の世界は一変した。少年たちに希望の光が灯り、自分たちの可能性を信じ始めた。

ある日、学生が診療室から出てくると、彼は自分の足で立っていた。(絶望的だと診断されていた足だったが、治ったのだ。)そして彼は自分の足で病棟から去っていってしまう。
残され、裏切られた少年たちはどうなっただろう。物語では、明確になっていないが、彼らは、学生が来る前と同じように堕落した生活に戻ってしまったのだろう。彼らにとって学生は、所詮、『他人の足』だったという事なのだ。


また、この物語は、病棟患者の中で最年長である少年が主人公となり、彼の目線で話が展開される。彼は、希望に満ち溢れる学生が周囲に与える影響に感心しながらも、新参者への嫉妬心のようなものから学生に対抗し、素直に学生の勉強会に出ることもしなかった。

『結局、僕はあいつを見張っていた。そして、あいつは贋ものだったのだ、と僕は考えた。勝利の感情が沸き起こりかけて、急に消えた。そして暗い拡がりが静かに躰を寄せてきた。』

これは、学生が去った後の主人公の心境を述べた一文である。おそらく、これが大江健三郎が表現した「人間の弱さ」なのだ。
学生は正しき人、本物の人だった。
しかし、正しき人、本物の人を目の当たりにしたとき、自己の弱さから、それを素直に見れなくなってしまうことが人間には多々ある。そして、本物から目を背けたいがために自ら『贋もの』に決め込んでしまい軽蔑し勝利感さえも得ようとする。それが、偽りの勝利だとわかっていても、弱さからそうしてしまうのだ。

 

人間は、他人と比べて苦しみを感じる生き物だ。その葛藤の中で浮きぼられる人間の弱い部分がこの物語では、秀逸に表現されている。

 

死者の奢り・飼育 (新潮文庫)

死者の奢り・飼育 (新潮文庫)

 

 

【感想】生きることの意味 /高史明

 

生きることの意味―ある少年のおいたち (ちくま文庫)

戦時中、在日朝鮮人として日本に生まれた作者の自叙伝。
差別と貧乏の苦しい生活の中で青春時代を過ごした作者が「生きることの意味」を模索していく話。

この本は、大人になった作者が青春時代の辛い出来事を思い出しながら、そのときの出来事が自分に与えた影響が語られています。
その辛い出来事を思い出す度に、一貫しているのが、
「その辛さや苦しみが、人を思いやるやさしさを教えてくれた」
という話です。

朝鮮人として差別され虐められた出来事も、日本人との生活の違いに悩み、孤独を感じ、他人に暴力を振るうようになった日々も大人になった今考えると、そのときに暗中模索したことは全て人に対する優しさの源になってるんだといいます。

ただし、この考えを持つようになったのは、小学校高学年にある日本人の先生に出会ったからみたいです。
作者は、この先生を「本当のやさしさを教えてくれた人」だといってます。
それは、ただ愛情を持って接してくれるやさしさではなく、これから先にある辛いことを乗り越えられる力をつけるために指導してくれるやさしさだったそうです。
この先生は、朝鮮人の作者に対して、差別しなかったのではなく、特別扱いしなかったという風にも感じとれました。
そう考えると、悲しさや辛い思いだけが作者に「やさしさ」を与えたのではなく、本当の人のやさしさを教えてくれる人への出会いが大事だったんだと思います。

辛いこと悲しいことは、生きていれば多々ありますが、それを全て、「人を思いやるやさしさの源」と考えられるようになれれば幸せですね。でも、だいたいはしばらくたってから、よくよく考えると「あの出来事は意味があったんだな」って思うのがほとんどですが…

 

 

生きることの意味―ある少年のおいたち (ちくま文庫)

生きることの意味―ある少年のおいたち (ちくま文庫)

 

 

【感想】 羅生門・鼻・侏儒の言葉 /芥川龍之介

 

 

f:id:red13x000:20150102162729j:plain

羅生門・鼻・杜子春・トロッコ・侏儒の言葉の5編が収録.

芥川龍之介は,人間の心理の移り変わりを表現するのがうまい作家だと言われています.

誰もが国語の教科書で目にする「羅生門」は,職を追われた下人の心理が死人の髪の毛を抜く老婆とのやり取りの中で変転していくという物語です.
老婆の悪事を戒めようとした正義心は,物語の最後には,生きるために必要な悪事を正当化する心理へと変わってしまいます.

2編目の「鼻」でも,コンプレックスを克服した内供に対する周囲の人々の心理の変化について下記のようなことが述べています.

「人間の心には互いに矛盾した二つの感情がある.もちろん,たれでも他人の不幸に同情しない者はいない.ところがその人がその不幸を,どうにかして切り抜けることができると,今度はこっちでなんとなく物足りないような心もちがする.少し誇張して言えば,もう一度その人を,同じ不幸に陥れてみたいような気にさえなる.そうしていつのまにか,消極的ではあるが,ある敵意をいだくようなことになる.」

この言葉を,芥川龍之介は,傍観者の利己主義と呼んでいます.

悲しくはありますが,「羅生門」の下人の心理も「鼻」の傍観者の心理も,誰もが持っている心の側面なんだと思います.

そんな心理が出てきてしまったときには,ただただその心理を理性で押し殺して,せめて行動だけは立派に見せかけたいものです.

 

 

羅生門・鼻 (新潮文庫)

羅生門・鼻 (新潮文庫)

 

 

【感想】タテ社会の人間関係 /中根千枝

タテ社会の人間関係 単一社会の理論 (講談社現代新書)

 

日本独特の文化である年功序列や終身雇用。
近年の日本はグローバル化に合わせて、これらの文化にメスを入れ、実力主義成果主義への変革を試みていることは近頃のニュースを見れば誰でも知っている事だ。僕も、これは「近年」の事だと思っていた。

 

この本を読むと、日本の政府や会社は僕らが思うより昔から、こういった変革を望み叫んでいる一方、根強い日本文化に阻まれ、社会構造は今も昔もほとんど変わっていない事が分かる。

今、日本の大企業で「年功序列」から「成果主義」への構造改革が続々と発表されているが、この本を読んだ後では、それらは表面的な制度を変えるだけにとどまり、実際の構造変革は失敗に終わってしまうように思えてしまう。

 

◎日本の民族性や価値観からの分析

この本が出版されたのは、1967年。驚くことにこの本に書かれている日本の様子は、半世紀近く経った現在の日本とほとんど変わっていない。それは、日本の社会構造が、日本人が昔から持っている民族性や価値観が作り上げた構造であるからだという。会社が欧米から輸入してきた「成果主義」を望んだところで、日本人に民族性に合わないのだ。この民族性、価値観から社会構造を分析するというアプローチがこの本の大きな特徴である。古い本であるにも関わらず123版を超え、今でも尚、増刷され読み継がれているのは、このことが理由だろう。

 

◎場と資格。ウチとソト。タテ社会とヨコ社会

この本では、日本文化の特徴を説明するために、「場」と「資格」、「ウチ」と「ヨソ」、「タテ社会」と「ヨコ社会」といった言葉が定義されている。これらの言葉は、僕たち日本人の特徴と日本の社会構造をよく捉えているものだと感心してしまう。


 -場と資格
「場」は、「会社名」や「所属している組織」、「資格」は、その人の「役職」や「役割」の事を表しているのだという。日本人が大事にしているのは、「場」である。日本では、「大企業」に勤めていれば、その人が会社の中でどんな役割(資格)を持っていたとしても、それだけでステータスになる。逆に、どんなに素晴らしい能力を持ったベンチャー企業の社長であっても「場」が尊ばれる日本では、あまり賞賛されない。欧米では逆に「資格」を尊重する文化なのだという。これらが日本がベンチャー企業を育てづらくしている体質なのだと思われる。

 

-「ウチ」と「ヨソ」
ウチはウチ。ヨソはヨソ。日本人なら馴染みのある言葉ではないだろうか?日本人は「ウチ」と「ヨソ」を立て分ける文化を持っており、これが日本の「終身雇用」を作り上げたというのだ。会社が「ウチ」と「ヨソ」を分けるというのは、会社が終身雇用という制度で社員を自分の会社に囲い込み、「ヨソ」の会社との接点を排他的に考えるという事である。
僕は日本の電機メーカのグループ会社で技術者を勤めているが、それを如実に感じることがある。日本には、大きな電機メーカが8つあるが、他のメーカと技術的な交流はほとんどない。欧米では会社を超えた技術的な交流(フォーラムなど)が盛んに行われており、多くの技術者がその技術の躍進のために情報を共有しているというのに、なんだか日本は海外と戦う前に仲間割れしているような印象だ。そして、それぞれのメーカが出す製品といえば、どれも似たりよったりの製品ばかりなのだ。
また、情報技術の分野では、LinuxAndroidなどで有名なオープンソースという概念がある。一つのベースとなる技術を無料で提供することで、多くの開発者がそれをカスタマイズしていき、技術を躍進させていく概念である。いうなれば、無料で提供する代わりに、人類の英知を借りて発展しようという試みなのだ。そして、そのオープンソースに関しても、日本は消極的である。「ウチ」に籠ろうとする体質が、1つの企業の中に技術を閉じ込めてしまうのだ。

 

 -「タテ社会」と「ヨコ社会」
上で述べたように、日本の構造は、タテピラミッドの構造を持った組織構造が乱立しているのだ。それぞれのピラミッドは独立した王国のよういなっており、隣のピラミッドとヨコ方向に交流することがほとんどない。そして、ヨソに排他的な分、ピラミッドの内部の繋がりは強固になる。

ピラミッドの中のタテ社会では、その場にいる年数でその人間が評価される。隣のピラミッドから転職という形でヨソ者が来たところで、能力があっても勤続年数の少ないというだけでおのずと評価は低くなっていまうのだ。つまり、転職は、「勤続年数」という日本人にとって大きなステータスを捨てることになるのだ。
日本でも積極的に転職する人が増えたというが、それは若者に限った話であり、会社に長くいる社員にとっては、「勤続年数」というステータスを捨て転職するというリスクはなかなか取れたものではない。

 

◎日本のタテ社会構造の良い部分
今まで、タテ社会のネガティブな面ばかり紹介してしまったが、タテ社会には、ネガティブな面ばかりではない。高度経済成長で日本があれだけ成長できたのは、このタテ社会が作り出す徹底的な命令系統があったからだという。現在のグローバル経済でも、日本のタテ社会の良い部分が出ればよいと思う。

 

◎まとめ
感想といいながら、ほとんど、この本の要約になってしまった。日本のいち労働者として、この本は大変に勉強になった。日本のサラリーマンは、この本に触れて、日本の社会構造とその起源を知るべきだと強く思う。日本社会の構造を知ることで、現在の日本社会への不満な気持ちや労働者としての立ち振る舞いも少し変わってくるかもしれません。

 

タテ社会の人間関係 単一社会の理論 (講談社現代新書)

タテ社会の人間関係 単一社会の理論 (講談社現代新書)

 

 

【感想】君たちはどう生きるか /吉野源三郎

君たちはどう生きるか (岩波文庫)

 

自分たちの地球が宇宙の中心だという考えにかじりついていた間、人類には宇宙の本当のことがわからなかったと同様に自分ばかりを中心にして物事を判断してゆくと、世の中の本当のことも、ついに知ることが出来ないでしまう。
大きな真理はそういう人の眼には決して映らないのだ。

天動説が当たり前だった時代に地動説を唱えたコペルニクスは、その時代の人々から非難中傷を受けます。非難中傷をしていた人々は、自己のエゴイズム、つまり人間中心・自分中心の考えに囚われ、地球(人間)が宇宙の一部という真理を受け入れることができなかっただけでなく、真理を唱える人間にさえ危害を与えてしまった。そして、筆者は、この話を通して、自己中心的な人間は、往々にして物事の本質を見失ってしまうのだと指摘しています。


確かに他人の意見を聞かず、自己の考えが一番だという錯覚に囚われているとき、人間というものは盲目になっている。そして、そういうときには、おそらく精神的にも知識的にも成長の機会を失っているのだろうと思う。

他人を尊重すること、謙虚に人の考えを聞くことは、一歩下がっているように見えて、己の視野を広げるだけでなく、大きな成長を与え前進の力にしてくれているだろう。

また謙虚な人間には、人は手を差し延ばすし、利己的な人間には人は何も与えようとはしないだろう。

自分ばかりを中心に物事を判断せず、物事の真理を見極められるコペルニクスのような生き方をしたいものだと思う。

 

 

君たちはどう生きるか (岩波文庫)

君たちはどう生きるか (岩波文庫)

 

 

【感想】壁 /安部公房

壁 (新潮文庫)

シュールリアリスムの作品。
読み始めたときは、物語の中の物理法則や秩序が、めちゃくちゃな世界の話というだけで、物語を読み終われば、この作品を通して筆者が伝えたいことが分かるのだと思い込んでいた。
主人公が名刺から名前を盗まれ、身の回りのモノが人間に対する暴動を起こしている事が明らかになったとき、この物語の趣旨は、モノを大切にしない人間への警告なのだと、思った。しかし、この作品は、そんなところに話を落ち着けてくれるものではなかったのだ。
物語前半で立ち上げられた伏線は、開けっ放しになったまま、物語は終わってしまう。
名前が盗まれた意味、モノが氾濫を起こし、主人公が世界の果てに追放されようとしている意味、登場人物たちの役割、全ての謎が謎のまま物語は終わってしまう。
シュールリアリスムというジャンルとは、こういうものなのだろうか。とても不思議な気持ちにさせてくれる。
むしろ、僕の感じた、この「不思議な気持ち」にさせる事が筆者の意図なのかもしれない。難しい。

 

壁 (新潮文庫)

壁 (新潮文庫)