【感想】死者の奢り・飼育 /大江健三郎

死者の奢り・飼育 (新潮文庫)

 

大江健三郎の短編集。『死者の奢り』、『他人の足』、『飼育』、『人間の羊』、『不意の唖』、『戦いの今日』の6編が収録されている。

中でも印象深かった、『他人の足』について感想を述べる。

『他人の足』は、脊椎カリエスの未成年病棟に収容された少年たちの物語。
少年たちは、一生歩けないという事実に希望を失い、堕落の日々を過ごしていた。病棟の外の世界には興味もなく、自分の一生を病棟で消費することが目的であるかのような日々を送る彼ら・・・
そんなある日、一人の学生が病棟に入ってくる。彼は一生歩けないという悲惨な事実と戦いながらも希望を持ち続ける人間だった。彼は、外の世界のニュースを学ぶための会を開き、脊椎カリエスである自分たちでも、外界に影響を与えうる事、希望を失ってはいけないことを周囲に訴え続ける。
彼が来たことで、病棟の中の世界は一変した。少年たちに希望の光が灯り、自分たちの可能性を信じ始めた。

ある日、学生が診療室から出てくると、彼は自分の足で立っていた。(絶望的だと診断されていた足だったが、治ったのだ。)そして彼は自分の足で病棟から去っていってしまう。
残され、裏切られた少年たちはどうなっただろう。物語では、明確になっていないが、彼らは、学生が来る前と同じように堕落した生活に戻ってしまったのだろう。彼らにとって学生は、所詮、『他人の足』だったという事なのだ。


また、この物語は、病棟患者の中で最年長である少年が主人公となり、彼の目線で話が展開される。彼は、希望に満ち溢れる学生が周囲に与える影響に感心しながらも、新参者への嫉妬心のようなものから学生に対抗し、素直に学生の勉強会に出ることもしなかった。

『結局、僕はあいつを見張っていた。そして、あいつは贋ものだったのだ、と僕は考えた。勝利の感情が沸き起こりかけて、急に消えた。そして暗い拡がりが静かに躰を寄せてきた。』

これは、学生が去った後の主人公の心境を述べた一文である。おそらく、これが大江健三郎が表現した「人間の弱さ」なのだ。
学生は正しき人、本物の人だった。
しかし、正しき人、本物の人を目の当たりにしたとき、自己の弱さから、それを素直に見れなくなってしまうことが人間には多々ある。そして、本物から目を背けたいがために自ら『贋もの』に決め込んでしまい軽蔑し勝利感さえも得ようとする。それが、偽りの勝利だとわかっていても、弱さからそうしてしまうのだ。

 

人間は、他人と比べて苦しみを感じる生き物だ。その葛藤の中で浮きぼられる人間の弱い部分がこの物語では、秀逸に表現されている。

 

死者の奢り・飼育 (新潮文庫)

死者の奢り・飼育 (新潮文庫)