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【感想】 李陵・山月記 / 中島敦

李陵・山月記 (新潮文庫)

敗者になることを恐れて、競争に参加さえしない人間がいる。競争の舞台に立たないのだから自尊心が傷つけられることもなく、安楽に甘んじる事ができる。何かを為そうと思わないのであれば、それでもいい。しかし、何かを為そうと思っているにも関わらず、競争の舞台に立とうとしない者が成功を収められる事は、稀だろう。
この本に収録されている『山月記』は、競争の舞台に立とうとしない者への警告のために書かれたのだと思う。

 

「人間であった時、己は努めて人との交わりを避けた。人々は己を倨傲だ、尊大だといった。実は、それがほとんど羞恥心に近いものであることを、人々は知らなかった。勿論、曾ての郷党の鬼才といわれた自分に、自尊心が無かったとは云わない。しかし、それは臆病な自尊心とでもいうべきものであった。己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交わって切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。己の珠に非ざることを恐れるが故に、敢て刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々とし瓦に伍することも出来なかった。己は次第に世と離れ、人と遠ざかり、噴悶と慙恚とによって益々己の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。」(P16)

「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」。虎になってしまった李徴は、過去の自分の弱さをこのように名付けている。

李徴は、周囲から孤高の天才だと崇められていた。それは、自身の羞恥心を隠すために彼が作り上げた鎧を他人が見てつけた虚栄の評価だと彼は言っている。しかし同時に、天才であるという周囲の評価は、彼に自尊心を与える。「臆病」な自尊心を。

その「臆病な自尊心」が曲者だった。周囲からの天才という評価を守りたいが故に、自分の本当の評価が露呈される可能性がある他人との競争を避け、本当の評価を与えてくれるであろう師匠などにも怖くて就こうとしなかった。
結局、彼は、恥をかきたくないばかりに勝負に出ようともせず、決して負けない代わりに勝利を収めることも出来なかったのだ。

 

「事実は、才能の不足を暴露するかもしれないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の全てだったのだ。己よりもはるかに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、堂々たるしかとなったものが幾らでもいるのだ。(P17 )

 

自身に才能がないと思っても努力し続けた人間、失敗や恥を恐れなかった人間。最後に結果を残したのはそういう人間だったと李徴は語っている。

今の僕にも、李徴の「臆病な自尊心」を感じる事がある。
「挑戦する勇気」と「諦めない心」を持ち続ける事が大切だと改めて思う。

 

 

李陵・山月記 (新潮文庫)

李陵・山月記 (新潮文庫)