【感想】レ・ミゼラブル(1)~(5)/ヴィクトル・ユゴー

 

レ・ミゼラブル (1) (新潮文庫)レ・ミゼラブル (2) (新潮文庫)レ・ミゼラブル (3) (新潮文庫)

レ・ミゼラブル (4) (新潮文庫)レ・ミゼラブル (5) (新潮文庫)

レ・ミゼラブルは、日本語で「みじめな人々」。そのタイトル通り、主人公ジャンヴァルジャンをはじめとした、当時のフランス社会の底辺で苦しみ続けた人間達の物語が綴られている。

ミュージカルや映画としても有名な作品だが、僕は小説として読むことをお勧めしたい。それは、映画などでは表現できない登場人物の葛藤や、物語を中断して繰り広げられるユゴーの思想・哲学は、小説の中でしか味わえないからであり、そういったものが、ユゴーにとって一番読者に伝えたい事だと思うからである。

◎ジャンヴァルジャンとミリエル司教

ジャンヴァルジャンの物語は、ミリエル司教との出会いからはじまる。社会から虐められ続け、人間の良心を信じることができなくなってしまったジャンヴァルジャン。どんな悪人に見えても、その人間に必ず良心が備わっていると信じるミリエル司教。その2人が出会ったとき、ミリエル司教の善の力が、ジャンヴァルジャンの中の悪を善へと転換させた。そして、ほんの1回のミリエル司教の善の行為は、ジャンヴァルジャンが死ぬまで、正義を貫き通す力になった。
どんなに裏切られ、どんな目にあっても相手の良心を信じ続けようとすることは大変に難しい。しかし、相手を信じ続ける行為は、ミリエル司教とジャンヴァルジャンのように人間を悪から善へ180°の転換を成し遂げられる事を忘れてはならない。

 

◎ジャンヴァルジャンの葛藤

ジャンヴァルジャンの葛藤は、物語の中で大きく2つあると思っている。
1つは、長年かけて築き上げた市長としての地位を持ったジャンヴァルジャンが、自分の代わりに冤罪を受けようとしている囚人を目の前にしたときの葛藤である。自首し囚人を守ろうとすれば市長としての地位は剥奪され、無期懲役として牢獄へ繋がれる。黙っていれば、自分は助かるが、全く罪もない囚人を無期懲役にさせてしまう。この場面で、ジャンヴァルジャンは、苦悩しながらも、ミリエル司教の教えを守り、正義の選択である自首すること決める。

 

もう1つは、コゼットとマリユスの恋愛についての葛藤である。ジャンヴァルジャンにとって、人生の全てだと言ってよいコゼット。そんなコゼットがマリユスと恋仲であることを知ったとき、ジャンヴァルジャンは、自分の幸せとコゼットの幸せの間で葛藤することになる。自分の幸せを優先しようと思えば、死にゆくマリユスを見殺しにすることも出来たであろう。誰もが、マリユスの死に対して「あれはしょうがなかった」と言えるような状況でもあった。しかし、ジャンヴァルジャンは、自分の命も顧みず、マリユスを助けにゆく事を決める。自分の幸せを奪う相手であるマリユスを。

 

この二つの葛藤に対するジャンヴァルジャンの選択は、ジャンヴァルジャンが、他人の不幸の上に自分の幸福を築こうとはしない正義の人間であることを物語っている。きっと、ユゴーが描く理想の人間とは、こういう人間なのだろう。

 

◎みじめな人「ファンチーヌ」

この物語には、タイトルの通り「みじめな人間」が多く登場する。中でも一番みじめな人間として描かれているのは、コゼットの母親ファンチーヌだろう。それはレ・ミゼラブルの劇中で不幸の中で死にゆくファンチーヌが歌う「I Dreamed A Dream(夢やぶれて)」の歌詞からも分かる。コゼットを身ごもったまま男に逃げられ、コゼットを養うために女工で働くものの周囲からの嫉妬で働けなくなってしまい、髪の毛を売り、前歯を売り、最後には売春婦へと身を落とす。信頼し、コゼットを預けていたテナルディエ夫妻は、大悪党で、せっかく稼いだお金も、だまし取られてしまう。
おそらく、どの時代にも犠牲になりやすいのは女性であることをユゴーは読者に伝えたいのではないだろうか。子供を最後に守るのは母親であり、そのためにはどこまでも自分を犠牲にしてしまう。それは、法律という対処が施された今の時代でさえ、付きまとっている問題だと思う。

 

◎ジャヴェールの葛藤

ジャンヴァルジャンを犯罪者として追い回し続けたジャヴェール。彼は、最後に自殺する。それは、自分にとって最大の悪党だと思っていたジャンヴァルジャンに自分の命を救われたことで、自分が今まで正義だと信じていた信念が揺らいでしまったからである。揺らいでしまった信念では、もうジャンヴァルジャンを追い掛け回す事は出来ないが、信念を曲げることは法の下に生きてきた自身の人生を否定することになる。信念を否定することになるならば、死を選ぼう。そういった決心の下、彼は死を選んだ。
同じくユゴーの著書である「九十三年」に登場するゴーヴァンも自分の信念と現実の葛藤の下で死を選ぶ。(彼の場合は、自己の正義を守るために死を選ぶのだが)
この2人のように、死を持ってまでも、自己の信念と正義に忠実であり続ける姿には、圧巻である。付和雷同に陥りやすい僕にとって、自己の信念を曲げない2人の生き方に学びたい。

 

ユゴーの思想・哲学

物語を通してユゴーの思想・哲学が散見される。
僕の印象に残ったところを何点か紹介する。

「学問は強心剤でなければならない。享楽するとは、なんとつまらぬ目的であり、なんとみじめな野心であろう!畜生は享楽する。考えること、そこにこそ魂の勝利がある。人々の渇望に思想を差し出し、すべての人間に妙薬として神の観念を与え、彼らの心の中で良心と学問を和合させ、その神秘的な結合によって、人間を正しいものにする、これが真の哲学の役割である。(2巻/P.306)

学問を目的としてはいけない。身に着けた学問を世の中にどう活かしていこうかという良心も養わなければならない。その良心を育み、学問を和合させて正しい行動に導いていくのが哲学なのだという。新渡戸稲造も武士道の中で同じ事を言っていた。


「人生、不幸、孤独、遺棄、貧乏は、英雄を生む戦場であり、無名の英雄の方が、有名な英雄より偉大なこともある。しっかりした非凡な性格はこうしてつくられる。貧苦は大抵継母にあたるがときには母ともなる。貧窮は力強い魂と精神を生み、窮乏は自尊心の乳母であり、高潔な人々には、不幸がよい乳となる(3巻/P.148)」

不幸な境遇から、英雄が生まれる。自身の境遇を怨み、腐ったりしてはいけない。負けじ魂が大切。


「百日のうち一日だって、完全な喜びと完全な太陽はほとんどない。(中略)考え深い人たちは、幸福な人とか不幸な人という言葉をあまり使わない。明らかにあの世への入口ともいうべきこの世には、幸福な人など存在しない。人間の真の区別とはこうである。輝く人と、暗黒の人。暗黒の人間の数を減らして、輝く人間の数を増やすこと、それが目的である。教育!学問!と人々が叫ぶ理由がそこにある。読むこと学ぶことは、灯りをつけることである。拾い読みしたすべての綴りが、光を放つのである。しかも輝きは、必ずしも喜びということではない。輝きの中でも人は苦しむ。(中略)あなたがたが何かを認識しても、また何かを愛しても、やはり苦しむだろう。光は涙の中に生まれる(4巻/P.260)

完全に幸福に満たされている人生なんて存在しない。世の中、そんなに良い事ばかりでないことは誰でもわかっている。ただ、そいうった世の中でも、幸福を甘受する能力や、不幸を耐え忍ぶ能力を持ち合わせている人間には違って見えるのではないだろうか。そして、そういった能力は、教育や学問によって育まれる。

 

 

レ・ミゼラブル (1) (新潮文庫)

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レ・ミゼラブル (2) (新潮文庫)

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レ・ミゼラブル (3) (新潮文庫)

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レ・ミゼラブル (4) (新潮文庫)

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レ・ミゼラブル (5) (新潮文庫)

レ・ミゼラブル (5) (新潮文庫)