【感想】私の個人主義/ 夏目漱石

私の個人主義 (講談社学術文庫)

 

「自己主張」と「協調性」。
相反するこれらの性質は、人間関係においてどちらも大事である。
どちらに行き過ぎることなく、中庸であることが理想だと僕は思う。

「自己主張」に行き過ぎた姿。それは、狭量な世界で生きる人だ。物事の考え方への多様性を認められず、他者の意見に耳を貸すことができない。他者の持っている、もっと良い意見に対して盲目であるために答えを間違えることもある。また、自己の狭量な世界観に他者の意見を取り入れない事は、自己の成長を止めてしまうことでもある。

「協調性」に行き過ぎた姿。それは空っぽな人だ。自己の主張を覆い隠し、他人の意見に迎合する。他者とぶつからない事を目的としているため、議論の中では、創造的な役割は果たせない。

特に日本では、「協調性」を重んずる傾向が強く、「自己主張」すべきときに自己を出せない人間が多いように思う。僕もその中の一人である。

「協調性」を重んずる社会にあって、正しき「自己主張」をするためにはどうすれば良いのか。それは僕にとって一つの解決できない課題である。

夏目漱石は、この「私の個人主義」で、自己主張(夏目漱石は「自己の個性の発展」と言っているが僕は、これを「自己主張」と同義だと捉えた)をするにあたり、他者および社会に果たすべき責任や義務を明解に述べている。

「自己の個性の発展を仕遂ようと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならないという事。」

他者と自分とは、根本的に目指すべきものも考え方も価値観も違うのである。そこに自分の価値観が唯一無二で正しいと錯覚し、他者に押し付ける事は、夏目漱石が提唱する個人主義ではない。他者の個性を認め、卑下したり反対しないこと。言い換えれば、他人は他人、自分は自分だと開き直る事。そのルールを守った上での自己主張をすべきなのだ。

明治の初期は、目まぐるしく社会が変わった時代であり、大志を抱いて自分の進むべき道を進んで行った人間がたくさん居たのだろう。そのような社会にあって夏目漱石が思索した個人主義は、現代において志を持った人間に対しても有用な考えであると思う。

 

 

私の個人主義 (講談社学術文庫)

私の個人主義 (講談社学術文庫)