【感想】阿Q正伝・狂人日記 / 魯迅

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「愚弱な国民は、たとえ体格がよく、どんなに頑強であっても、せいぜいくだらぬ見せしめの材料と、その見物人になるだけだ。病気したり死んだりする人間がたとい多かろうと、そんなことは不幸とまではいえぬのだ。むしろわれわれの最初に果たすべき任務は、かれらの精神を改造することだ。そして、精神の改造に役立つものといえば、当時の私の考えでは、むしろ文芸が第一だった。」

 

この本の最初、自序の一節です。

それまで、「医学」を志してきた魯迅は、ある経験を機に、人々を救うのは、「文芸」であることを悟ります。それは、「医学」で直接的に人を救うのではなく、「文芸」を通して人々の精神を変革していくことが大切だという理由でした。

 


「文芸」の道を志した魯迅は、同級生と共に雑誌を出版するも、うまくいかず、ある種の自暴自棄になってしまいます。このときの感じたもの悲しさを、魯迅は、「寂寞」と名づけました。

この「寂寞」という感情は、魯迅を苦しめ続けます。そして、魯迅自身は、この「寂寞」に耐えるために自分の魂に麻酔をかける術を見つけました。


「ただ自分の寂寞だけは、除かないわけにはいかなかった。それはあまりに苦痛だったから。そこで、いろいろの方法を用いて、自分の魂に麻酔させにかかった――自分を国民の中に埋めたり、自分を古代に返らせたり。その後も、もっと大きな寂寞、もっと大きな悲しみを、いくつも自分で体験したり、そとから眺めたりした。すべて私にとって、思い出すに堪えない、それらを私の脳といっしょに泥の中に沈めてしまいたいものばかりである。とはいえ、私の麻酔法はききめがあったらしく、青年時代の慷慨悲憤はもうおこらなくなった」

このとき魯迅が感じていた「寂寞」の心情は、この短編集に収録された「狂人日記」の狂人を通して訴えているのではないか思います。

この狂人は、自分の周囲の人が常に自分を食べようとしていると妄想します。この疑心暗鬼の心情は、世間から見離された魯迅自身が感じた寂寞の一部分だったのではないでしょうか。

また、「阿Q正伝」の主人公、阿Qが持つ「精神的勝利法」というのは、魯迅が「寂寞」を堪えるために使った麻酔法ではないかと思います。

阿Qの持つ「精神的勝利法」とは、勝負や喧嘩で負けたとしても、自分の中であれこれと理由をつけて勝ち誇ってしまうというものです。周囲からは滑稽に見えるかもしれませんが、ある種の人間的な強さでもあるともいえます。魯迅が寂寞に堪えるために培った術なのではないでしょうか。

この2つの物語の主人公は、偉人が感じた「弱さ」とそれに「打ち勝つ術」を教えてくれているのかもしれません。

 

 

阿Q正伝・狂人日記 他十二篇(吶喊) (岩波文庫)

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