【感想】 竜馬がゆく(1)~(8) /司馬遼太郎

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「筆者はこの小説を構想するにあたって、事をなす人間の条件というものを考えたかった。
それを坂本龍馬という、田舎生まれの、地位もなく、学問もなく、ただ一片の志のみをもっていた若者にもとめた。(8巻「近江路」P.366)」

 


坂本竜馬という人物は、多くの人間から愛されている。
それは、彼が成し遂げた偉業がそうさせたのではなく、彼の人間的魅力がそうさせるのだろう。


坂本竜馬の性格を言葉に表してみると、多くの人が「無邪気」、「大胆」、「型破り」といった言葉を使うだろう。
しかし、僕自身が思う彼の魅力は、その一見して子供のような無邪気さを表面に纏いつつ内在する、彼の鋭い洞察力や、現実主義にあると思っている。

彼の生きた時代は、武士の時代である。武士の世界では、形式や面子を重んずる傾向が強く、多くの武士たちが、物事の選択に形式や面子(いわば、自身のプライド)を軸に据えているように思える。

しかし、そういう周囲の武士たちを尻目に、彼の考え方は柔軟である。物事を成し遂げるために必要であれば、人に馬鹿にされようと自己の面子やプライドを捨てることができる人間なのだ。いわば、成し遂げるべく目的を最優先とした現実主義である。

そういった能力は、多くの説得や会談の場面で発揮される。面子を主軸を置いた人たち相手に、鋭く洞察し、自分が進めたい道に柔軟に誘導してゆくのだ。薩長同盟大政奉還という大偉業も、彼のこういった能力が成し遂げたものだと僕は思う。

 

僕たち人間は得てして、自身のプライドや面子で物事の選択を間違える事がある。
小我に囚われ、そういった選択の間違えないようするには、どうすればいいか?
その答えを坂本竜馬から学ぼうとすると、「大きな志」を持つことなのだろう。
大きな目標・大きな志を持って事に当たるとき、己のプライドや面子などというのは、小さく見えてくる。
己の小我に囚われない、強い人格を作るために、出来るだけ大きな志を持って生きていたい。

 

竜馬がゆく (新装版) 文庫 全8巻 完結セット (文春文庫)

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