【感想】樅の木は残った(上)(中)(下) /山本周五郎

 

 

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江戸時代初期に伊達藩に起こった御家騒動、通称・伊達騒動を舞台にした山本周五郎の小説。

主人公は、伊達藩の家臣のひとり、原田甲斐という人物。
原田甲斐という人物は、歴史上では極悪人とされています。しかし、山本周五郎の小説では、周囲から悪人と思われようと伊達藩を守るために最善を尽くし、孤独に戦った家臣として描れています。
伊達騒動には謎が多く、残っている文献では、原田甲斐が悪人だったのか正義の人だったのかは分からないままなんだとか。

ただ、山本周五郎が描く原田甲斐という人物は本当に素敵なのです。
前述したとおり、原田甲斐は伊達藩を守る事を主眼に置き、必要であれば周囲から疑われる事もしなければなりません。 時には、友人が無実の罪を着せられ殺されようとする場合でも、見殺しにすることもありました。その行いは、周囲からは非道に見え、多くの友人が彼の元から離れていってしまい、次第に孤独になっていきます。

しかし、伊達藩を守るという意志を強く持つ彼は、孤独に耐え抜きながらも、伊達藩を潰そうとする輩と戦い続けます。
孤独と向き合い正義のために戦い続けた彼の人生からは、多くの力強い人間性を学ぶことができると思います。

最後に心に残った原田甲斐の言葉を紹介して終わります。

 

「意地や面目を立てとおすことはいさましい、人の眼にも壮烈にみえるだろう、しかし、侍の本分というものは堪忍や辛抱の中にある、(中略)およそ人間の生き方とはそういうものだ、いつの世でも、しんじつ国家を支え護立てているのは、こういう堪忍や辛抱、人の眼には現れない所に働いている力なのだ。」(下・286)

 

「人間はもともと弱いものだし、力のあらわれは一様ではない、鉄石の強さも強さ、雪に折れない竹のたわみも強さだ、ここで剛毅心をふるい起こすよりは、この虚しいもの淋しさを認めるほうが、おれにとっては強さであるかもしれない。」(下・352)

 

これは持論ですが、何かを成し遂げたいのであれば、孤独と向き合う強さは必要なのではないかと思うのです。

 

 

樅ノ木は残った (上) (新潮文庫)

樅ノ木は残った (上) (新潮文庫)

 

 

 

樅ノ木は残った (中) (新潮文庫)

樅ノ木は残った (中) (新潮文庫)

 

 

 

樅ノ木は残った (下) (新潮文庫)

樅ノ木は残った (下) (新潮文庫)

 

 

 

【感想】破戒 / 島崎藤村

 

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ただ一つの希望、ただ一つの方法、それは身の素性を隠すより外にない、「たとえいかなる目を見ようと、いかなる人に邂逅おうと決してそれは自白けるな、一旦の憤怒悲哀にこの戒めを忘れたら、その時こそ社会から捨てられたものと思え。」こう父は教えたのである。

自分が穢多であることを周囲に悟られないよう隠し通して生きてゆけとの父の戒めを守り続けてきた学校教師の瀬川丑松。ある事件をきっかけに父の戒めを破る事になってしまい、社会から酷い仕打ちを受けことになってしまう。穢多への社会的差別の実情と、後ろめたい素性を持った人間の憂鬱が描かれた作品。

この物語の結末は、主人公丑松が学校教師の職を追われ、穢多への社会的差別という現実に敗北するというものです。
しかし、単純なバッドエンドと言われればそうでもないのです。
それは、主人公丑松が穢多への差別を度外視して交友できる親友を持っていたし、教師として生徒からの大いなる信頼を受けていたからです。

社会から見れば、敗北したように見えるかもしれませんが、真の友情や周囲からの信頼を勝ち得た主人公丑松は、精神の世界では勝利しているようにも思えます。

名声や財産という社会的な面で敗北し、代わりにもっと大切なものに気づいたという結末を迎える話は、多くあります。
このような価値観の転換を読者に与える小説は個人的にとても好きです。

 

 

破戒 (岩波文庫)

破戒 (岩波文庫)

 

 

【感想】少女パレアナ / エレナ・ポーター

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親切と協力の念をもって生活していればその隣人たちもいつの間にかこちらに同調してくるであろう。こちらが罵り怒り、批判するならば周囲もまた怒りには怒りを返しその上に利息を添えてくる事は請け合いである。悪を予期して悪を求めれば必ず悪を得、善を見出すと信じていれば善を得る(p.198)

 

 

人生をより楽しく有意義に生きる心得が散りばめられてる小説です。
内容も分かりやすく読みやすい小説ですし、自信を持って薦められる本の一つです。


主人公のパレアナは、亡き父から教わった「何でも喜ぶ」ゲームを常に興じている少女。孤児となり、叔母のもとへと引っ越してきたパレアナは、その「何でも喜ぶ」ゲームを町中の人に教え、心を明るくしていくという話。

パレアナの興じている「何でも喜ぶ」ゲームは、私達の生きるうえでも大変に役立つ考え方だと思います。
「何でも喜ぶ」ゲームは、どんな不幸な出来事や事実でも、その中から何か「喜び」を探し出すというゲームです。
一見、自分にとって不幸な出来事というものは、感情に流されてしまえば、ただの不幸で終わってしまいます。しかし、理性を働かせて、そこから「喜び」を見出すこと、またそれを習慣にしようと試みることは大変に大事な事だと思います。

 

もちろん簡単にできる事ではありませんし、喜びを見つけられても、感情の波に押し戻されて憂鬱な気持ちになる事もあると思います。それでも、理性を働かせ続け、物事を前向きに捉えようとする試みを繰り返すことは、少しずつですが着実に自身を成長させてくれるのではないでしょうか。

 

 

少女パレアナ (角川文庫クラシックス)

少女パレアナ (角川文庫クラシックス)

 

 

 

 

【感想】Itと呼ばれた子(幼少期)(青年期)(完結編)/デイブ・ペルザー

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『自分が始めた事は何だって全力を尽くしている。過ちを犯したり、大失敗したりしながらも、ちゃんと学んでいる。自分の問題を人のせいなんかにしない。(中略)とにかく、なんとしてでも、人生を無駄にしないようにするんだ。あなたが教えてくれた事があるとすればそのことだな』(itと呼ばれた子 - 完結編)

母親から虐待を受け、名前ではなく「it(それ)」と呼ばれていた子供の自叙伝。

読む前は、世の明るみに出ない児童虐待の実態を世の人に知らせるために書かれた作品だと思っていました。
確かに「幼少期編」では、著者が受けた恐ろしいほど残虐な虐待の現状が記されており、読んでいて気持ち悪くなってきます。
しかし、後半の(青年期)、(完結編)では、虐待を受けた過去を持つ著者の現実との葛藤や、苦しみながらも前に進み続ける著者の力強さと成長が描かれており、ただの虐待の現状を紹介する作品ではないのだと感じました。
日本でも数年前にヒットしている作品ですが、過去の苦しみを抱えながら人間として成長していく著者の姿は、多くの人間に感動を与えたのではないかと思います。

この本を読んでとても不思議に思ったのは、残虐な虐待を受けた主人公デイビットが、それでも尚、母親の愛を求め続ける姿でした。
保護されたデイビットは、死の危険さえある母親の住む実家に何度も足を運んでしまいます。それは、母親がもしかしたら自分を認めてくれるのではないか?昔のように自分を愛してくれる母親に戻ってくれるのではないか?という可能性を信じての行為でした。

第三者から見れば、その行為は信じられない愚行に写るかもしれません。ただ、母親と子供のつながりというのは、一般の考えが通じないほどの何かで繋がっているのかもしれません。
少し前に僕のおばさんから、離婚した知り合いの親権争いについて聞いたことが思い出されます。
その知り合いの母親側は、子供に経済的な苦労はさせたくないからと親権を父親側に譲ってしまったそうです。その話をした後、おばさんは言ってました。どんなに貧乏で苦労したって、母親の愛というものは、子供にとって大切なものだと。どんな苦労があろうとも、母親が親権を得るべきだったと。
二児の母であるおばさんの言うことは、確かにそうなんだろうなと思います。

 

“It”(それ)と呼ばれた子 幼年期 (ヴィレッジブックス)

“It”(それ)と呼ばれた子 幼年期 (ヴィレッジブックス)

 

 

 

“It”(それ)と呼ばれた子―少年期ロストボーイ (ヴィレッジブックス)

“It”(それ)と呼ばれた子―少年期ロストボーイ (ヴィレッジブックス)

 

 

 

“It”(それ)と呼ばれた子―完結編さよなら“It” (ヴィレッジブックス)

“It”(それ)と呼ばれた子―完結編さよなら“It” (ヴィレッジブックス)

 

 

 

 

【感想】楡家の人びと(第1~3部)/ 北 杜夫

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諸行無常。盛者必衰。日本人ならば学校で習った記憶があるはずの言葉。物事は常に移り変わり、勢いのあるものは、時間と共に必ず没落するものだ。それが世の中の理である。
この物語のテーマも盛者の没落だといえる。
大病院を一代で築いた楡基一郎とその一族が、優雅な貴族生活から時代の流れと様々な災いに翻弄され、没落してゆく様が描かれる。

この小説の特徴は、楡家一族それぞれが持つ強烈なキャラクターである。
貴族育ちの能天気さを持ちあわせているが故に、人間の弱さを隠そうとせずに育ったのだろうか、各々は、それぞれ人間の弱い部分を象徴しているようだ。例えば、米国(よねくに)の患ってもいない病気に患っていると吹聴する心理や、政略結婚という貴族文化に真っ向から反発する桃子の心理、更には、医学研究者として名を挙げるという野心を捨てきれず、家族を蔑ろにしてしまう徹吉の心理。
それらは、道徳に反するような行為なのかもしれないが、人間的であり、愛らしい。これらの登場人物が没落しゆく流れの中で、それぞれの思惑や苦悩を持ち物語を作りだしているのは、この物語の1つの魅力だと思う。

この小説のもう一つの側面は、「戦争小説」である。第三部では、楡家の男たちが、太平洋戦争に徴兵されていく。

食料の行き渡らなくなった孤島で餓死と戦う俊一の物語や、空母の専属医師として働く城木の物語は、戦争の悲惨さをリアルに描く。
僕たち、戦争の知らない世代では、戦争といえば、敵国との殺し合いが一番に頭に浮かぶが、その裏で兵士たちが「餓え」で命を落としている事実は、なかなか知らない。戦死者の6割は、食料供給の滞りによる敵地での餓死が原因で死んでいるのだそうだ。

この兵士たちの「餓え」に関して言えば、大岡昇平さんの「野火」という小説を思い出す。戦場で餓えに狂った兵士が、最後に味方の人肉に手を出すかと葛藤する物語だ。
この作者はいう、

「戦争を知らない人間は、半分は子供である。」

あと数日で、終戦から69年を迎える。
僕たちは、戦争を知らない子供であることを自覚しなければならない。

 

 

楡家の人びと 第1部 (新潮文庫 き 4-57)

楡家の人びと 第1部 (新潮文庫 き 4-57)

 

 

 

楡家の人びと 第2部 (新潮文庫 き 4-58)

楡家の人びと 第2部 (新潮文庫 き 4-58)

 

 

 

楡家の人びと 第3部 (新潮文庫 き 4-59)

楡家の人びと 第3部 (新潮文庫 き 4-59)

 

 

 

 

野火 (新潮文庫)

野火 (新潮文庫)

 

 

 

【感想】若きウェルテルの悩み / ゲーテ

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「規則に従って人間は決して没趣味なものやまずいものをこしらえはしない。ちょうど法律や作法によって身を律する人間が、絶対に不愉快な仲間だったりひどい悪者だったりすることがないようにね。しかしその代わりに規則というものはどんなものだって、自然の真実な感情と真実な表現とを破壊するものなんだ。これは明白だ。」(18)

ウェルテルの悩みの元凶は、理性を働かせて感情を律する道徳心を持ち合わせていたことだ。それが彼を理性的であることと感情的であることとの間の葛藤に貶め、最後には自殺に陥らせてしまった。
冒頭の言葉でゲーテは、理性で感情を律することができる人間は、悪い人間ではないが、つまらない人間なのだと批判している。それは、恋愛において盲目的であればよかったとの自己への戒めなのかもしれない。

今の若い世代は、恋愛に消極的であると揶揄される。

空気を読むだとか、相手に合わせるだとか、そういう言葉が横行している現代は、ある意味で理性が発達しすぎているのかもしれない。

理性的であることは往々にして大事なことであるが、感情的であることも恐らく大事な事なのだ。

 

若きウェルテルの悩み (新潮文庫)

若きウェルテルの悩み (新潮文庫)

 

 

【感想】武士道 / 新渡戸稲造

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宗教がないとは。いったいあなたがたはどのようにして子孫に道徳教育を授けるのですか。」 


新渡戸稲造ベルギーの法学者ラヴレーとが懇談をしている際、日本が無宗教主義であるにも関わらず、秩序を持った生活を送れることに疑問を持ったラヴレーの一言です。 
海外では、道徳心は宗教から学び取るもので、学校の授業の中に宗教教育があるのが当たり前だそうです。 
言われてみれば、日本に住んでいる私たちは、道徳心を学校で学んだ記憶がないものです。日本人の道徳心は、日本人の底流に備わる「武士道」の心がもたらしたものだと新渡戸稲造は述べています。 


武士道の精神、それは、慎ましさや忠義心、他者への配慮など日本人が古くから美徳として認めている精神を表しています。この本を読むと、それらの日本人の美しい精神性に気付くことができ、日本人であることへの誇りを再確認することができます。 
また、新渡戸稲造は、日本人の価値観について、日本人が古来から最も愛してきた花「サクラ」に例えて、下記のように述べています。 

「サクラの花の美しさには気品があること、そしてまた、優雅であることが、他のどの花よりも「私たち日本人」の美的感覚に訴えるのである。私たちはヨーロッパ人とバラの花を愛でる心情をわかちあることはできない。バラには桜花のもつ純真さが欠けている。それのみならず、バラは、その甘美さの陰にとげを隠している。バラの花はいつとはなく散り果てるよりも、枝についたまま朽ち果てることを好むかのようである、その生への執着は死を厭い、恐れているようである。しかもこの花にはあでやかな色合いや、濃厚な香りがある。これらはすべて日本の桜にない特徴である。 
 私たちの日本の花、すなわちサクラは、その美しい粧いの下にとげや毒を隠しもってはいない。自然のおもむくままにいつでもその生命を棄てる用意がある。その色合いはけっして華美とはいいがたく、その淡い香りには飽きることがない。」 

このように、日本人は、派手なものを厭い慎ましく、裏表のない誠実さに価値をおいてきた事が伺えます。僕も、サクラのように日本人らしく生きたいものです。 

 

 

武士道―人に勝ち、自分に克つ強靭な精神力を鍛える   知的生きかた文庫

武士道―人に勝ち、自分に克つ強靭な精神力を鍛える 知的生きかた文庫