【感想】項羽と劉邦(上)(中)(下) /司馬遼太郎

項羽と劉邦 (上) (新潮文庫)項羽と劉邦〈中〉 (新潮文庫)項羽と劉邦〈下〉 (新潮文庫)

 

 何か大きな仕事を成し遂げようと思えば、様々なものが必要になる。

中でも大事なものは、”人望”だと言われている。
”人望”を得るためにはどうすればいいのか?どういう人格を身に付ければ人望を得られるのか?その一つの答えがこの物語に描かれているのではないだろうか。
勇猛さもなく、明晰な頭脳を持っているわけでもない一人の男「劉邦」が、己の”人望”を持ってして、中国を統一し漢帝国を樹立してしまった奇跡のような物語が、この「項羽と劉邦」である。

・対比的に描かれる2人のリーダー「項羽」と「劉邦
2人の武将「項羽」と「劉邦」。この2人は、まったく正反対の性格を持ち合わせている。

項羽」は、戦の時には必ず先頭に立ち勇敢に敵に立ち向かっていく。
彼の勇気は兵士たちを鼓舞し、彼のリーダーシップでどんな困難な戦においても勝利する。
いわば、姿で語るリーダーだと言える。
ただ、個人としての能力の高さゆえに、強い正義感とプライドを持ち合わせており、人の弱さや欠点を許せないきらいある。

それに対し、「劉邦」の性格は、項羽と真逆である。
凄い戦闘能力があるわけでなく、明晰な頭脳を持っているわけでもない。更に、戦の途中で仲間を置いて逃げてしまうほど臆病でもある。自分に能力がないことを自分で認識しており、配下の者に助けてもらってこそ自分があるという思いを持っている。それは、謙虚さとは少し違い、純粋に周りの助けがないと自分はやっていけないという素直な気持ちから発する性質なのだろう。

・大きな空虚

一見すると、責任感と勇気を持つ「項羽」は、周囲の士気を上げる理想的なリーダーのように思える。しかし、「項羽」の組織は、「項羽」という一人の優秀なリーダーシップで完結してしまっているのだ。

対する、「劉邦」の組織は、彼を取り囲む配下の者たちが「彼に任せておけない」という気持ちになり、その配下たちが自分の持つ能力を最大限に発揮するようになる。この性質を司馬遼太郎は、「大きな空虚」と表現している。以下の文章は、蕭何が劉邦の「大きな空虚」について語った箇所である。

劉邦は、空虚だ)
だからいい、と蕭何は思うよういなっていた。
理想をいえば、いっそ空虚という器が大がかりであればあるほどいい。有能者たちが多数それを充たすことができるからである、蕭何のみるところ、劉邦の馬鹿さ加減は、導きようによってはその大空虚たりうる。さらには蕭何が見るところ、劉邦の臆病で、身が危ういとなるとさっさと逃げ出してしまう。しかし、その臆病も、陽気さというものが補ってあまりある。その陽気さはまわりをも陽気にさせているようで、将来、困難に出くわしても劉邦とその仲間は大いに陽気に切りしのいでゆくだろう。陽気さは七難をかくすのではないか。そのうえ、子供っぽいほどにお調子者でもあった。もし劉邦の運に調子がつけば、かれ自身、それに乗り、竜の申し子といわれているとおりに天に駆け昇るということも可能かもしれない。(上巻・P131)

何はともあれ、この大きな空虚は、文字通り周囲を糾合して、項羽を破り、天下を統一してしまう。

劉邦に学ぶリーダーシップ

劉邦の持つ「大きな空虚」は、配下の者の力を最大限に発揮させた。しかし、劉邦は、ただの無能だった訳ではない。
彼が「大きな空虚」だった所以は、能力あるものに全てを任せられる勇気であったと思う。彼は無意識のうちにそれをやっていたのかもしれないが、人を信頼し、人に任せるという事は、言う程に簡単な事ではない。それが出来たからこそ、配下の者は、最大限に力を発揮し、彼を助けたのだと思う。

 

項羽と劉邦 (上) (新潮文庫)

項羽と劉邦 (上) (新潮文庫)

 

 

項羽と劉邦〈中〉 (新潮文庫)

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項羽と劉邦〈下〉 (新潮文庫)

項羽と劉邦〈下〉 (新潮文庫)